毎年
最低1回、多ければ数回必ず聴くプレイリストがいくつかあります。
そのひとつが陽水のプレイリスト。
彼の曲の最初の出会いは「夢の中へ」だったと記憶しています。
小学生だった。
この曲は私には全然響かなくて好きじゃなかった。
小学校のフォークソングクラブで歌わされてた記憶。
フォークソングクラブと言うのが時代だよね(笑)
別に好きじゃなかった陽水と二度目の衝撃的な出会いをするのが中2の放課後。
何十年も前なのにはっきり覚えてる。
クラスメートのMさんが
「(お兄ちゃんだったかお姉ちゃん←彼女にはどっちも居た)から借りてきた、誰か聴く?貸すよ」と言ったのだ。
しかし、
そこに居た数人は誰も知らなかった、そのアーティストたちを。
彼女が持っていたアルバムは二枚。
陽水の「氷の世界」そしてユーミンの「ひこうき雲」のアルバム。
私もユーミンは知らなかった。
陽水は例の苦手な曲は知ってた。
それでもなぜか聴きたくなり、他に借りたい友人も居なかったので手を上げた。
「私に貸して!」
Mさんとはすごく親しかったワケじゃない。
でも私はこの時の彼女の親切に一生感謝すると思う。
このことがなければ多分忘れ去っていたクラスメートだと思う。
だが、この時のユーミンと陽水との出会いは私の一生の宝物だ。
私のiPhoneには数千曲入っている。
70年代からの音楽が蓄積されてるのでそうなる。
プレイリストも数十作ってある。
その中でもこの二人の再生回数はベスト5に入るんじゃないだろうか。
ユーミンも語ると長すぎてまとまらなくなるので彼女の話はまた別で、陽水の話に戻すと、
「氷の世界」のアルバムを聴いて最初に気に入ったのは「帰れない二人」だった。
曲も綺麗で今も大好きだ。
多分中学生の私には一番わかりやすい曲だったのだろう。
陽水にしてはまともな歌詞(笑)
私は自分も文章書くのが好きなので歌は歌詞にけっこう拘る。
歌詞が判らない曲は好きになれない、と若い頃は頑なに思っていた。
洋楽が好きでもイマイチはまれないのはこのせいだ。
狭い了見で損をしているとたまに思うけど変なこだわりなのだ。
その狭い了見で聴くと「氷の世界」は訳がわからないと言うことになる。
リンゴ売りの歌かよ(汗) いや、違うなリンゴ売りの真似とか言ってる、、、
聴こうとすると頭の中混乱、みたいな状態。
音を並べてそこにあう言葉をただ並べる→そういう意図で陽水が作ってるかは知らないのだけど、彼の歌はそんな感じのものが多い。
私のように歌詞を吟味したら混乱する。
アルバム聴いて「小春おばさん」も良いなぁと思った。
この歌詞だってちょっと変だ。
誰だよ小春おばさんて、というか私の中では長年お婆さんのイメージなんだが
なんで
おばさん=お婆さんになったのかしら?←今更かよと自分で突っ込みたい
「桜三月散歩道」とか、「白い一日」譲ってこの辺りが好きだったがそれぞれよく聴くと変なんだけどね。
でも言葉と言うか単語というか、
とても綺麗だと思ったし、今でも思う。
この人言葉の使い方が天才的。
そして判らないと言いながら強烈に印象に残ったのはやはり「氷の世界」なんだよねぇ。
衝撃的だった。
当時こんな音楽あるのか?なんて思ったものです。
今や邦楽と洋楽の境なんて無いようなものだけど、70年代初期は洋楽は全くの別物だった。
ロックと言えばほぼ洋楽を指していたし、当時流行っていた洋楽はソウルミュージックだったし、
ユーミンの登場と氷の世界で、私は邦楽が判らなくなった。
演歌と歌謡曲しか無かったし、たまに番外編でフォークソングと言うのがあったけどねぇ。
括れない新しく登場した音楽にニューミュージックと名付けられたのは本当にそれまで無かった音楽だからだと思う。
凄い人たちだ。
若い人の感覚はわからないけど、
私は今彼らの曲を聴いても古いとは思わない。
今新曲として出したとしても感覚は変わらないと思える。
ある意味良い時代だったと思う。音楽に関しては。
演歌、歌謡曲、アイドル曲、そして出てきたニューミュージック。
色の違うものが雑多になって街に溢れてた。
そしてみんなが知ってる音楽がたくさんあった。
みんなが歌を共有してた。
あの頃にカラオケボックスがあったらなぁ(笑)
カラオケボックスの登場はもう少し後、この頃のカラオケは単なる業界用語だった。
今でもこの「氷の世界」に入ってる曲は好き。
陽水は他にも安全地帯、山口百恵、中森明菜、パフィー、などなど沢山の人に書いてる名曲がある。
毛色の変わったところで「Make-up Shadow」とかも大好きだ。
ドラマの主題歌、CMソング、きっと多くの人が耳にしてきた。
私は今後もずっと聴いてると思う。
ちなみに、
「陽水」は陽水と書いて本名が「あきみ」と読むのだと知ってる若い人はほとんど居ないよね。
昔タモリがバラしたとき本人怒ってたなぁ(笑)